FC2ブログ

他人(ひと)のために泣けるトゥインクルプリキュア#43

エレナさん、進路を決める
どうも!いまだに人生の進路が定まりません僕です!

ファントミ、二年目やるんですね。
シリーズの開始時期をズラすためかな、
と個人的には予想しておりますが
どうなんでございましょう。

と、雑談はサッと済ませて
43話の感想です。
最近、疲れてましてね、
できれば感想もサッと済まして
いくようにしたいなとか(笑)
どうしてもダラダラ書いちゃうんスよね。
癖で。

43話は、前回から引き続く
エレナ回だったわけですが
おもしろかったです。
ただ、初見時は、少し、ピンと来なかったんですよ。
ただ、視聴後に考えをまとめてみて、
その原因は、前回描かれた問題に対する
僕の理解がズレていたせいだなと気付きました。

二つの点で、僕の理解はズレていて、
一つは、エレナが、エレナ母に「本当の笑顔じゃない」
と言われたことについて、
エレナ母の言葉の意味を、
エレナが気付いていないんじゃないかと
僕は考えていたんですね。

なぜ母が、自分の笑顔を本物じゃないと言うのか、
その原因にエレナは自覚がないんじゃないかと。
でも、前回のラストシーンで、エレナが自覚的に
無理に笑顔を作った描写を考えれば、
自分が無理に笑顔を取り繕うことがある、という
認識をエレナが持たないはずがないので、
彼女のショックは、母親に、理不尽な事を言われた
ショックではなく、
むしろ図星を突かれた、痛いところを突かれた
ショックだったんだろうなと思います。

今回の台詞を聞く限り、母に言われるまでは
自分が時として笑顔を作っていることに、
それほど自覚的ではなかったと思いますが、
前回の母の言葉によって、自らを省みて
母の言わんとする意図も理解した上で、
強いショックを受けたと。

いや、その
「プリンセスになるな!」
と言われて、相手の意図を鑑みずに
マジで言葉通りに受け取っちゃった人も
過去にいましたので、
エレナさんもそんな感じかなーとか(笑)

もう一つの、理解がズレていた点は、
エレナの将来の夢についてなのですが、
両親共働きの大家族の長女としての遠慮から
目指したい夢があるけど、言い出せずにいる、
という感じだと思っていたんですが、
今回を見る限り、そもそも本当に自分が
その夢を目指したいと思っているのか
その点にまだ自信がない、という感じだったのかなと。

弟くんが、家のことは心配するな的な
フォローを入れてはいましたが、
それ以外は、あまりその点に触れられませんでしたし。
マドカとのやり取りでも、
思い返してみれば、したいことがあるができない、
ではなく、どういう道を進むべきかわからないという、
迷いや自信のなさの方がプッシュされていたように思います。

多分、エレナは現状で、
十分に幸せなんだろうと思うんですよ。
暖かい家族がいて、家の手伝いをして、
その中で、今キレイに成立している生活のリズムを
変化させてまで、自分はその夢を目指したいのか、
目指すべきなのか、という自信のなさが
エレナの問題だったんでしょう。

実は、初見時、エレナの
「他人のために無理をして笑う」
ということと、グーテン星人の
「本心では相手を見下しながら
表では友好の笑みを浮かべる」
ということは、偽の笑顔を作っているという点では
一致していても、だいぶ、違う問題ではないか
という風に感じていたんですね。

でも、上記の、僕の理解のズレを修正した上で
エレナが「みんなの笑顔を守り、みんなを笑顔にする」
という夢に自信を持てていないことから考えると、
エレナが問題視しているのは、他人のために
笑顔を作ることは正しいか正しくないかというような
個別的な事象に対することではなくて
もっと大きなくくりで「笑顔の持つ力」に対する
不安、懐疑だったんじゃないかなと。

つまり根本的に、笑顔が場合によって人を不幸にするなら
笑顔ってそもそも、大して素晴らしいものじゃないんじゃないの
という、ある種の失望感があり、
その笑顔を守るとかなんとかいう自分の夢には
本当に価値があるのだろうかという疑念が
エレナにとっての問題だったわけです。

で、今回すごく良かったなぁと思うのは、
このエレナの問題を解決するのが、
マドカの笑顔だったところですね。
その前後では、まぁ、色々と話すわけですが、
ターニングポイントの一点だけは
「自分を信じて」という、説明的な要素の
少ない台詞とマドカの笑顔でキメたところが
グッときました。

あの時、マドカは、無理に微笑むわけですよ。
だって、敵に拘束されて苦しいわけですが、
でもその笑顔は、エレナを思っての笑顔であり、
実際エレナに力を与えたわけです。
そして、かつて家族からもらった笑顔の記憶をも
エレナは思い出します……。

つまり、マドカが、笑顔の力を信じられなくなった
エレナの目の前で、笑顔の力を証明してみせるのです。
そして、誰かのために微笑む笑顔が
エレナが今までやってきたことが、
ただの間違いなんかではないことをも
マドカはあの場面で証明してみせているわけです。

確かに時に、人を傷つける笑顔があり、
すれ違ってしまう思いもある。
でも、笑顔にはやはり、信じるに足る力がある。
心底からそう思えた時、
その笑顔のために、何かをしたいという夢もまた
エレナの中でハッキリとした志として確立し、
トゥインクルイマジネーションに覚醒した、と。

マドカの笑顔をターニングポイントとした
この流れは、すごく良かったですね。
その後、地球に戻った後の、エレナと
家族とのやり取りももちろん良かったです。

あと、今回、ちょっと、色々と考えさせられた
描写がありまして、テンジョウさんの深掘りされた
過去についての描写なのですが、
その深掘りされた内容自体は悪くなくて、
まぁテンジョウさんも苦労したんだろうと思うのですが、
その描き方で、色々と。

過去を知られた、というか
自分からベラベラ話してくれたテンジョウさんですが(笑)
鼻が高いことが美徳とされるグーテン星で、
短い鼻で生まれてしまい、精神的な差別を
色々と受けてきたようです。

ただネットで見ていたら、本当に差別はあったのか、
テンジョウさんが被害妄想ないし、思い込みではないか
という感想があったんですね。
確かに、テンジョウさんが差別的な扱いを受ける
個別的、具体的な描写はないわけです。

ただ、プルンスに対する態度を見るにつけ
自覚的か無自覚的かは別として、グーテン星に存在する
差別意識を考えれば、まぁ、良い目より
悪い目にあることの方が多かったことは
想像に難くないですね。

ただ、テンジョウさんの思い込みではないか、
という感想に、一理もないわけではなくて
グーテン星にも、差別意識の少ない人は
いてもおかしくはないだろうとは考えられるわけです。
黒人奴隷についても、アメリカは北と南で
意見が分かれたわけですし、
同じ社会の中でも(少数派、多数派の差はあれど)
一人一人思想には違いがあるわけです。

でも今回のスタプリでは
グーテン星の人=鼻の低い人を差別する人たち、
という一律の描き方をされています。
グーテン星人のステレオタイプを描写している、
と言ってもいいでしょう。
それはグーテン星人に対する
差別的な描写と紙一重ではないかと言われれば
それは、そうとも言えるかもしれないなとか
そんなことを、色々と考えてしまったのです。

ただ、グーテン星が、鼻の低い者に対して
差別的なふるまいをする社会である、
というのは、おそらく事実でしょうし、
例えば、黒人差別に反対していた人もいたはずだから
過去のアメリカを黒人差別のある国として描くのはおかしい、
という意見があれば、それは間違っているとも感じるわけで。
でも社会を描くということは、そこにある個人差を
ある程度消してしまうということで、その個人の喪失は
差別意識と案外近いところにあるのではないかとか、
今回のスタプリの描写の仕方が悪いとか良いとかと
あまり関係のないところで、物事の描き方について
ちょっと考えさせられたのでした。

さてさて、次回はクリスマス回。
サンタクロースが実在するのは
プリキュアシリーズではよくあることですが
まさかサンタクロースが宇宙人にまでなるとは……。
魔法使いなのはまだわかるけど……。
しかも楽し気なクリスマス回なのに、敵のボスが来襲!?
ヒカルのイマジネーションはいつ覚醒するのか。
色々気になりつつ、次回を楽しみにしましょう。
ではでは!
スポンサーサイト



本当の笑顔じゃないトゥインクルプリキュア#42

まさか前後編
どうも!本当の笑顔じゃない笑顔を駆使して生きています僕です!

ファントミの映画化の話が出たと思ったら、
ジュエルペットも映画化するんですって!
まぁ、企画物というか、同時上映ありの
他の企業とのコラボっぽい感じで
小品って感じの映画かなと思いますけども。

あの、アレですね、プリチャンの映画も
そろそろ観たいんですけどね。
プリパラバブルが懐かしい。
プリチャンは近所のTUTAYAに
CDすら置いてないから、世知辛い。

そんなこんなで、
スタプリの42話の感想ですが、
結構、ビックリしましたね。

踏み込んでくるなぁと思って。
笑顔が大事、っていうのは、
子ども向けでは定番の定説ですけども、
その笑顔について、より詳細に見て、
話を作っているような。

もちろん、こういう話が子ども向けで
これまでなかったわけではなくて、
ムリして笑っている、ということを
扱った例は少なくないと思いますが、
今回は、その指摘が、母親から
(しかもクッションのない、歪んだ伝達方法によって)
娘のエレナに伝えられたこと、
さらに、エレナの笑顔が、決して間違いではなく
むしろ善意によって行われた、
正しさを含んだ行為であること、等の要素によって
かなり刺激的な物語になっていたと思います。

エレナの笑顔が「本当の笑顔じゃない」
という母の本心を聞いたことによって、
エレナは強いショックを受けます。
五分割画面が、真っ暗になる程に(笑)
いや、あの演出はビックリした。
かなりメタフィクショナルというか
こんなのアリ?っていう。

エレナは自分のやっていることが
正しいと信じていたのだろうし、
それは母親のためにもなっている
母親を助けて、喜ばせることにも
なっていると考えていたのでしょう。

でも、母親としては、
エレナに負担をかけて、
エレナの人生を束縛してしまっている
と感じてしまっている。

だったら仕事辞めろとか、
もっと計画的に子どもを作ろうとか
外野から言うのは簡単ですが、
僕はその辺はとやかく言う気はないですね。
人生色々ですし、そうやすやすと
他人の人生にアヤをつけるもんじゃないでしょう。
論争するのもめんどくさいし(笑)

とにもかくにも、母娘の思いがすれ違った結果で、
心が折れそうになったエレナを
今回はマドカが支えました。

この二人の関係が、こんなに良くなるとは
思いませんでした。
マドカは、家柄や父の言う事に囚われ
自分を持っていなかった。
一方、エレナもまた、家族を第一に考えて
自分自身が志す道を持っていなかった。
マドカはより後ろ向きな感情を
エレナはより前向きな感情を
それぞれに抱いていたけれども、
その実、自分をないがしろにしているという点で
二人は共通していた。
このキャラ配置の妙は結構驚きでした。
うまく考えたもんだなぁと。

スタプリ42話は、最終的に、エレナが
新しい答えを出すことができないまま終わって、
最後の、笑顔を作ってから、家に戻るところとか、
心が、キューッとなるわけですが(笑)
問題の解決は次回ということでしょう。
なので、今回の感想は、簡単にしようかなと思います。

今回、他にいいなと思った部分は、
エレナ母の変化したノットレイの
ため息が強力な風攻撃になるところ(笑)
これはおもしろかったですね。

次回は、テンジョウさんの過去も
掘り下げられるみたいで、驚きました。
以前にやった分で終わりかと思っていたので。
最近のシリーズの傾向として、そういう部分を
あまり描かず、説明しきらないことが
多いように感じていたので、これは嬉しいですね。

テンジョウさんの過去は何があったのか
エレナは新しい答えにたどり着けるのか
次回を楽しみにしましょう。
ではでは!

大きな一歩トゥインクルプリキュア#41

ファントミ、映画化だってよ!
どうも!せっかくならミラちゅーから三チーム全部出演させてほしい僕です!

ファントミは今、敵の女の子と友達になろう、
みたいな展開になっていて、
その敵に、結構、ひどいことをされたんですけど、
それを赦して、仲良くなろうと。
スタプリも、相手の事情を慮って、
相手を赦す、受け入れる、
誰も排除しない道を探す、
というのが、大きなテーマになっていると思いますが、
スタプリが、作品の思想として、
それを描いているのに対して、ファントミは
主人公のココミのキャラ、正確に依拠して、
その展開を作っているところに、差があって、
その二作品の違いを、ちょっとおもしろいなと
思ったりしています。

その二つは完全に分断できるものではないのですが、
スタプリを観ると、そうだな、そういう考え方をするのって
大事だな、という、一般化された思想としての感想になって、
ファントミの場合、ココミってすごく魅力的でいい子だな、
という、キャラ中心の感想になる感じです。

ま、ファントミの話はこの辺にして、
スタプリ41話の感想です。

ここ二回、前回、前々回と、
僕の見てる限りだと、結構評判の良い感じの
スタプリですが(まぁ、悪い評判はあまり目に
入れないようにもしてるんですが)
個人的には、そこまでビビッとは来てなかった
わけです(涙ぐんだけど)。

でも、マドカさんがメインの今回、41話、
かなり、好きだなぁと思いました。
時代を感じる作画も刺激的でしたが(笑)
脚本も刺激的でした。

実は、最初観た時は、前半で
ちょっとガッカリしたんですよね。
マドカパパが、もっと信念のある人だと思っていたので、
上の言う事にただ従っていただけ、というのは
一気にキャラの格が落ちた感じがしました。
娘の言うことも、ある程度、聞く耳を持っている人に
思っていたのに、マドカに自分の言う通りにすればいいとか
言い出しちゃうし……。
さらに、マドカのために自分を捨てて頑張ってきた、とか
それ、本当だとしても、娘の前で言っちゃうか―・・…みたいな。

マドカパパに、それほど悪い印象を持っていなかったので、
ちょっとって言うか、すごくガッカリしました。
でも、後からネットで感想を見ていて、
マドカパパの言っていることが、どこまで本気で
本音を言っているかわからない、という感想を見て、
それは確かになと思いました。

人間の言葉って、思っていることが
そのまま出るわけではないので、
マドカパパが、そういう、失望させるようなことを
口に出した事情を考えてみるべきだと気付かされました。
いやぁ、僕もまだ観方が浅い。

まず、どうも、マドカパパは
左遷されて今の役職に就いたみたいですね。
あ、そういう、窓際的な部署だったんだっていう。
そりゃあ、なんか、国が力を動いているにしては、
色々と雑な感じでしたしね。
それにしても、首相から直で連絡があったりとか、
不自然な描写もあるわけですけど(笑)

ともかくその、左遷先である部署で
成果を上げて、中央に返り咲こうとしたけれども、
それに失敗した。
精神的に、かなり自棄になっていて、
おかしくない状況ですね。
その結果、言葉や論理が、乱暴で極端になっている
というのは、考えられることでしょう。

で、ここで次に、何で、マドカパパは左遷されたのかな、
と考えてみるわけです。
マドカパパは、マドカに選択を誤らせたくない、
というかなり強い思いを抱いています。
それは、マドカパパ自身が『選択を誤る』ということを
つよく恐れている、あるいは少なくとも、
とても重大なことだと、認識しているからでしょう。
そこから想像すると、もしかしたらマドカパパは
自分が『選択を誤って』ひどい目にあった経験が
あるのではないかと。

つまり、マドカパパは何らかの
選択を誤った結果、左遷させられたのではないかと
想像できるわけです。
だからこそ、娘にはそういう失敗をしてほしくなくて、
マドカの人生を縛るような行動をするようになってしまった。

では、過去のマドカパパの選択の誤りとは
どのようなものだったのか。
「上の指示に従うだけ」という言葉が
自棄になった末に発された言葉だと考えると、
それはむしろ本音の裏返しの、自嘲的な意味合いを持つ
言葉になっている可能性があるわけです。
もしかしたら、マドカパパは
自分より上の立場の人がした判断に
逆らって、違う選択をしたために、
左遷させられたのかもしれません。

だからこそ、左遷させられた後の彼は、
「上の言うことに従うこと」を強い命題として
娘には、自分のように失敗しない
「選択を誤らない」道を歩ませようとした。
自分の本当の気持ちを、捨ててでも。

はい、深読みです(笑)
筋はある程度、通りますよね。
こう考えると、マドカパパに同情の気持ちもわきますし、
作品を納得するうえで、プラスになる深読みなら、
むしろ歓迎されるべきかなと(笑)
批判のための深読みは論外ですが。

まぁ、でも、この深読みは、
41話を観終わって、この一週間で、
段々に考えたものなので、
41話を観ている最中は、
マドカパパには失望したままでした。

それでも、41話を観て、僕は大きな満足感を得ました。
その理由は、この、ガッカリなマドカパパを
マドカが、理解し、受け入れたからです。

ただ言う通りにすればいい、とか、
上の指示に従うだけで、
宇宙人が敵か味方かはどうでもいい、とか
そういった言葉は、きっとマドカにも、失望を感じさせたと思います。
それまで、正しいと思っていた父親に、もはや賛同できない。
父のことも、父が提示する道も信じられなくなったため、
マドカは自分が進むべき道を、見失ってしまった。

マドカとエレナのやり取りは、良かったですね。
水きりをした石の波紋が、
その後の演出に繋がるのも良かった。

で、マドカの中には、これまで信じていた父親が
正しくなかったということに、折り合いを付けられない
感情があったのだろうなと思います。
父親が間違っているとしても、父に対する愛はあるわけで。
これまで自分が歩んできた道全てが、
間違っていたのだろうかという疑問もあったでしょう。
その道の中には、楽しかったことも、
真剣に努力したこともあったのに、自分の歩んできた道は
間違っている父が作った、間違った道だったのだろうか。
父に対する尊敬や、想い出の詰まったこれまでの道のりと、
父の考えとは違う、新しく見えてきた正しいと思える道の、
二つの狭間で、どう感情を処理していいか、
混乱があったと思います。

でも、全てを捨てて、力を得た、
間違っているが、強烈な思いによって行動している
ガルオウガと戦う中で、
マドカは、マドカのために、自分を捨てたという
父の思いを、理解するわけです。

何かのために、自分を捨てるということが
どれほど強い思いを有することなのか、
マドカの父の行動が間違っていても、
マドカの父の考えに、賛同できなかったとしても、
そこにあるのは、娘を守りたいという、
強烈な愛に他ならない。
これから、反発し、違う道を歩むとしても、
父に愛されていた、これまでの道を
間違っていたと切り捨てる必要はなく、
その愛の上に自分は成長し、
今、新しい道へ踏み出せるのだと、
多分、マドカは思ったのでしょう。

マドカが、マドカパパの幻とともに
セレーネアローを放つシーンについて、
父の影を打ち消した、というような、感想を
目にしたのですが、
少なくとも僕には、マドカパパの姿は
打ち消されたのではなく、セレーネアローと一つになり、
マドカの中に生きる力になったように見えました。

マドカが、マドカパパにお礼を言ったのは
嫌味でもなんでもなく、本当の気持ちでしょう。
こうしてマドカは、ハッキリしない、
漠然とした『人間』ではなく
自分の意思を持った『一個の人間』
『a man』に成長したわけです。

僕は、マドカパパに失望しましたが、
そのマドカパパに、マドカは理解を示し、
受け入れた上で成長した。
ただ失望して終わるのではなく、
マドカパパを救うような形で、
話が展開したことで、マドカパパに対する
失望も物語内である程度解消され、
同時に、マドカの器の大きさというか、
キャラの魅力が、引き立ったように感じて、
観終わった後、とても満足感を覚えることができたのでした。
最終的に、マドカパパをフォローする
マドカママの存在も良かったですね。

他に41話で良かったのは、
「何ができる?」というガルオウガの問いに対する
「何ができるかわかりませんでした」とマドカが
答えるシーンもすごく良かった。

あのシーンは、ガルオウガの「何ができる?」に
「~~ができる」という形で答えていないんですよね。
でも、その答えのズラし方が、魅力的に思えました。
マドカが「何ができるかわからなかった」のは
そもそも、「自分が何をしたいか、やりたいか」が
わかっていなかったからだと思うんです。
「やる」ことがないから、それを「できるか、できないか」
という判断自体が存在しえない。
だから「何ができるかわからない」んです。
でも、ヒカルたちと過ごした結果、
「やっていいこと、やってみたいこと」
そういうものが見えてきて、
新しい世界が広がった。
自分にも「できるかもしれない」世界が開けた。
自分の可能性が広がったという意味で、
そこで初めて「できる」ことが生まれた。
それは、結果として「できるか、できないか」
ということとは違う。成功するか否かではなく、
可能性があるという意味で「できる」なのだ。

だから、マドカに「何ができる」かと言えば
「何でもできる」のだ。
しかしそれは、ガルオウガが問うている
「できる、できない」とは意味的にズレている。
だから、マドカは「できるか、できないか」という
答え方はしない。
ただ、自分が、その「できる」可能性の世界で
何をしたいかを意思表示することに、なったわけです。

人生綱渡りだったマドカが
最後、イメージとして、月に向かって飛ぶ、
というのも、良い演出だと思いました。
空を飛べる彼女は、
もう綱から足を踏み外して落下することは
ありえないのです。

そんな感じで、ハードな作画も含め(笑)
大満足な回でした。
さて、次回は、再びエレナ回。
あれだけ兄弟が多いと、進学しないって選択肢も
経済状況によってはあり得るし、
しっかり者のエレナさんが、
進路を決めずに迷っているっていうのも
まぁ、想像に難くないところです。
楽しみに待ちましょう。
ではでは!
プロフィール

洗濯

Author:洗濯
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR