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オールスターズっとプリキュア#37

ものすごくオールスターズだった……
どうも!今回は流石にびっくりしました僕です!

脚本、村山功!
作画、青山充!


という正統派オールスターズスタッフ(敬称略)。
そして演出はタナカリオンこと田中裕太。
プリプリ以降、どうしてもタナカリオンには
苦手意識を持っていた僕ですが、
ここまでやられたら、もう言うしかない……
田中さん、あんたはすげぇヤツだ……

作画や声優の数等、
もちろんテレビ放送の限度はあるわけだけど
まさに映画オールスターズの意思を引き継いだ
満足感のある回だったと思います。
オールスターズっていうのは、ある種、
ファンへのサービスみたいなところがあって、
今回の話は、15年間応援してくれてありがとうっていう
ファンへのご褒美みたいなもんです。
こんなものを観せられたら
シリーズ商法に対して僕が否定的だとか、そんなことは抜きにして
こちらからも、ありがとうと、感謝感激してしまいます。

例えば、キュアブロッサムとキュアハッピーが
落下しながら敵にキックするシーン。
ブロッサムが体をひねりながらキックする動き。
そうそう!これだよ、ハトプリの動きはさぁ!っていう(笑)
アクション一つとっても、それぞれのシリーズの個性があって
それをちゃんと描いているところが、
もう、愛を感じるよ。

細かい話をあげたらきりがないんだけど、
例えば、初代のアクションとか、
キュアピーチのアクションに、
OPアニメのバンクを使っていたと思うんだけど、
それは作画の負担を減らすと同時に
ある種の懐かしさを刺激する効果もあって、
すごく良いなぁと。

もうネタはどっさりで、
みんな言ってるだろうけど
ほぼ十年経ってもベリーソードは囮だという衝撃(笑)
とかね。
でも同時に、これは台詞がないせいもあるけど、
子どもたちにはあのシーン、意味不明だ思うんですよ。
ベリーソードを囮にしたって、知らないと
読み取りづらい場面だったなって思うんです。
つまりベリーソードが囮になるシーンは
HUGプリを観ている子どものためというよりも
過去作を観ているファンのためのシーンであって、
オールスターズやシリーズ商法に対して、
僕が否定的なのは、そういう部分なんです。

ファンとして今回の話に感謝して感激しているのは
前述の通り間違いないけれど、
今回はトラウムの話が、オールスターズに飲み込まれる
ような形になってしまって、HUGプリの独立性という
意味では、否定的な見方もありえるわけです。
トラウムはルールーに、
いつかまた会えるかとかなんとか
言っていましたが、今までの幹部を考えると
案外すぐに会えそうな気もする(笑)

まぁ、ファンとしての嬉しさと
HUGプリ世代の子どもに対する
ある種の申し訳なさと、
アンビバレンツな感情を僕は持っているわけですが、
ちょっと、今回のHUGプリ自体も
少しアンビバレンツな構造を持っているなと
思った部分がありまして。

HUGプリは未来へ進む、
時間を動かしていくっていうのが、
一つの主題になっていて、そして今回
プレジデントクライも
「彼女たちの時を止めることはできない」
と発言するわけですが、
よくよく考えると、
オールスターズというものは、その実、
歴代プリキュアの時を止めることによって
成立するイベントなんですよ。

もちろん、うららが人気女優になってたり、
過去よりも設定が進行していることは描いているけれども、
みんなの年齢や姿は、根本的に過去のまま止まっている。
歴代プリキュアは、プリキュアを卒業できないまま
戦い続けなければならないわけで。

過去は戻らず、先に進むしかないというHUGプリで
15周年という過去を振り返り、オールスターズというイベントをやる。
そして時間の止まった歴代プリキュアに対し
「彼女たちの時は止められない」という台詞がむけられる。
ものすごく矛盾しているように見えます。

今回の脚本の村山さんは、オールスターズDXシリーズの
脚本を担当していたわけですが、同時に
オールスターズというイベントに対して
シニカルな視点も持ち合わせている方なんですよ。
久々にプリキュアシンドロームのインタビューを読み直したんですが
オールスターズのことをこんな風に言っています。

『「すべてをひとつに!」なんて言っちゃって、
それぞれの街で平和に暮らしている歴代プリキュアの少女たちを
映画興業のために寄せ集めてくるみたいな』

戦いを終えた過去の戦士をいつまでも
興業として登場させることに対して村山さんは、
違和感みたいなものを持っているんだと思うんですよ。

そして同じインタビューのプリ5と続編5GoGoについての
発言もとてもおもしろくて

『「プリキュア5」で夢を見つけて、
夢に向かって進もうとしている彼女たちが「5GoGo」では歳を取らない。
とんでもない矛盾ですよね?
(中略)
「プリキュア5」で永遠を否定し続けていた彼女たちが
永遠の若さを手に入れてる!って(笑)』

未来へ進んでいくことを示したプリ5が
サザエさん時空に入ってしまうことの矛盾を
ハッキリ指摘しているわけです。
そして5GoGoの物語が時計塔から始まることについて
当時シナリオを読んでこう思ったと発言しています。

『小村さん、成田さん、みなまで言わないでください、
あれはのぞみたちが止まった時間に閉じ込められたというメタファーですね』

『『5GoGo』はあの時計塔の針を動かして
時を進めてのぞみたちを解放させる物語』

こういう発言をしていた村山さんが
今回のHUGプリで、歴代プリキュアを前に
「彼女たちの時を止めることはできない」
という台詞を描き、そしてその直後に
5GoGoの時計塔の針が動くシーンを入れたこと。
これは案外、重要な意味を持つんじゃないかと思うんです。

ただ、どういう意味を持つかは、僕はとりあぐねていて、
村山さん流の皮肉にもとれるわけですけど、
そういう風に解釈するのは少し悲しい気もします。
別の解釈としては、村山さんの考え方の変化を示していると
考えることもできると思います。
つまりオールスターズを単純な時間の停止と見るのではなく、
キャラクターが永遠に、次の世代に受け継がれ、
キャラクターとして生きていく、未来へ残って進んでいくものと
捉えるようになったと。
生きた人間としてキャラクターを捉えるなら
(脚本家がそういう実在感を自分の映画いたキャラに
抱くことは珍しいことではないでしょう)
やはりオールスターズは時間が止まっている。
でも、創作上のキャラクターとして捉えるなら
(ミッキーやキティちゃんのように)
次の世代に受け継がれるといういう意味で
彼女たちの時間は止まらない。
もうこの辺りは言葉遊びの範疇になってしまうかもしれませんが
そういう、ある種ポジティブな思考の変化の上に
今回の話が描かれたなら、皮肉であるよりは、良いなと思います。
ただ、あるいはもっと別な理由かもしれませんし、
実際のところは、本人に聞くしか答えは出ないですよね。
誰か村山さんにインタビューで聞いてください!
お願いします><


そんなこんなで、色々とグダグダ書いてきましたが
今回の感想はそんなところです。
次回はハロウィン回。作画の表情が豊かで楽しみです。
作画と言えば、今回はやけにエミルがガニ股になっているシーンが
多かったように思うんですが、あれは何だったのでしょう(笑)
では、最後に、今回のスタッフの皆さま、
そして、今回に繋がるプリキュアのすべての関係者の皆さまに
一言お礼を述べて、終わろうかと思います。
本当にありがとうございました!
ではでは!
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久々っとプリキュア#36

みなさん、お久しぶりです
どうも!いやぁ、お懐かしい、という気分の僕です!

まぁもうね、テレビ本編で
歴代プリキュアが復活ですよ。
何度も言うように、最近のプリキュアの
シリーズ商法的な方向性には、否定派な僕ですが
実際にテレビで観ると、そんなに嫌な感じは
しなかったですねぇ

こうやって、色んなことがなぁなぁになっていって
自分の信念というものを失っていくわけです(笑)
僕の人生は大体そんな感じでここまできました(笑)
まぁ現状まだ、シリーズ商法に対する
基本否定派な態度は変わらないわけですが。

今回はいきなり、プリアラから始まったので驚きました
わざと最初、画面に映さないで、
先にトラウムを見せておいてからの……
おおい!HUGプリちゃうんかーい!
っていう(笑)
定番演出ですけど
普通に驚いちゃいました。
定型化していた前説も
流石に今回は変えてきました。

プリアラも魔法プリも、成長した状態で登場でしたね。
前回の記事で、魔法プリも大学生の状態で出るのかって
半分冗談で書いたんですけど、
まさか本当に、成長状態で出るとは。
プリキュアシンドロームのインタビューで
過去作のプリキュアを登場させたり
サザエさん時空を用いることに対して
否定的な発言をしている村山さんが脚本ですから
そういう思想的な意味合いもあるのか、
まぁ単純に時間を操るという物語の展開に
マッチしたからそうしたというだけかもしれません。

時系列的なことについては
他のシリーズのプリキュアは身体的に
成長したようには見えないし
スーパースターズではプリアラは成長前だったし
整合性がつくような話ではないので
細かく考えても仕方がないかなと思いますけども。

ハグたんの能力で、プリアラはHUGプリのところに
召喚されるわけですけれども
イチカとヒマリ以外のメンバーが順番に
着地していくシーンがあるじゃないですか。
なんかあのシーンすごくおもしろくて(笑)
めっちゃリピートしてみちゃったんですけど。
何だろう、着地のポーズとか
順に並んで着地してくテンポとか
なんかすごく好き(笑)

ヒマリだけルールーにキャッチされるところとか
そういう遊びのシーンというか
ゆかりさんのマイペースさとか
リコのお決まりの失敗とか
なんか安心しますよね(笑)
食べなれたお菓子を食べる感じというか(笑)
滅茶苦茶前向きなラブさんも、
あー、ラブさんだぁって感じで、良かったです。

タルトの声はね、結構、キツイと思ったんですけど(笑)
やっぱなぁ、ミラクルライト説明係を降板させられたからなぁ。
毎年、ちゃんと声出させてあげないと、
出せなくなっちゃいますよね(笑)

キャラが、特別見せ場があるわけじゃないんだけど
イメージを崩さずに、登場してるっていうのは
喜ばしいことだなと思いました。
「本当に他にプリキュアっているの?」的な
発言をするのがシエルだっていうのも、
シエルが時期的に、ドリームスターズに登場してなくて
魔法プリとHUGプリとしか面識がないことを
踏まえての台詞だと思うし、
その辺の小ネタも楽しかったですね。

小ネタと言えば、サアヤのCMの歌を
ウララが歌っている話とか、
まぁ整合性はとれないんだけど(笑)
楽しくはありますよね。
見た目は全然変わってないのに
ウララも立派な女優になったようで。
そのCMソング、またCD出してくんねぇかな(笑)
買いますよ。本当に。

プリ5の話で言えば、
ブンビーさんの登場はビックリでしたね
あんた自分の会社はどうしたのって。
最後、会社設立してましたよね?
つぶれたのだろうか……。
まぁ、カーレンジャーのレッドレーサーも
ゴーカイジャーに出たときは、
会社員じゃなく役者になってたし(笑)

でもブンビーさんまで出すなら
もうこの際、もっと小ネタは入れてほしかったですね。
時間停止のシーンで映るプリキュアの背後に
サブキャラも描くとか。
久々に満と薫が見たかったです。僕は。

番組の最後に、今回登場したプリキュアの
紹介とかしてましたけど、次回予告には
映ってなかったですが、次回はさらに
過去のプリキュアが登場するんでしょうか。
時間停止が明確に描かれなかった
シリーズもありますしね。
それならそれで嬉しいですが、
少なくとも初代の登場は確実ですね
しかも今回は、ルミナスもちゃんといます(笑)
なんかルミナスの声聞くの
すごく楽しみになってきました(笑)

ちょっと今回は、乱雑に感想を進めてしまいましたが、
うん、まぁ、歴代プリキュアの登場という意味では
そこそこ楽しめたのですが、今回の話そのものが
格別におもしろいという感じではなかったので、
部分部分の感想が先に来てしまって、その結果、
まとまりがなくなってしまいました。

他に今回で好きだったところは
冒頭で、何でトラウムがいきなり
プリアラのところにいるねんとか、
思ったんですけど、プリキュアに救われた土地は
明日パワワが豊富だからって、理屈を通してきたのは
ちょっと感心しちゃいましたね。

さて、今回の感想はそんなところですかね。
HUGプリは、15周年ということで、
歴代とかなりコラボしてますけど、
なんとなく、タイミング的に一番得してるのは
魔法プリな感じがします。
シリーズ商法が意識され始めて、
客演も多いし、3Dシアターなんかもやったしね。
次の映画は、みんな声があるみたいですし、
それも合わせて、次回のHUGプリに期待しましょう!
ではでは!

帝王切開っとプリキュア#35

記事のタイトルのパンチがすごい
どうも!
感想記事のタイトルを毎回悩みつつも適当に付けるのですが
今回は久々にパンチがあるな、と思う僕です!

だいぶ前からですが、プリキュアをリアルタイム視聴は
していなくて、録画視聴なのですが
最近特に時間がなくて、どうしても観るのが
遅くなってしまいます。

だから観る前に、周りの声も聞こえてきたりして
今回は帝王切開の話題で結構、
みんな盛り上がってたみたいで、
どんな話だよと思いながら観たのですが
ガッツリ帝王切開の話かと思ったら
一つの要素としてちゃんと話の中に
組み込んで使われている感じで、

ちょっと説教臭いというか
メッセージ性の強い要素を
嫌がる人もいるとは思うんですが
個人的には、こういう語り口なら全然、
気にならないし、いいなと思いました。

帝王切開については、
あまり考えたことがなくて、
まぁ当事者以外で
しょっちゅう帝王切開について
考えている人がいたら、
それもどうかと思うわけですが(笑)
だから、今回の、帝王切開に対する
ある種ネガティブな反応というのも
そうか、そういう考えや感じ方があるんだなと
勉強になった気がしました。

個人的には帝王切開に
全然ネガティブな印象はないんですが、
確かに当事者にとってみれば
安全とは言え手術に変わりないわけで、
特に出産の神経質な時期であれば
ネガティブに感じることも多いだろうなと。
知り合いの女性にも話してみたのですが
一度帝王切開をすると、
次の時も基本は帝王切開で産むことになるし
術後の痛みもひどいらしくて
必ずしも普通分娩より痛みが少ないとも
言えないしと、色々と不都合もあるらしいんですね。

そもそも帝王切開というものについて
ほとんど考えたことがなかった僕が、
こうやってちょっと色々考えたり
人に聞いて知識が増えたり、
多分、実際に帝王切開の人に会ったとしても
以前より、気づかいができるようになるだろうし、
そういうことだけで、
今回の話をHUGプリが放送した意義は
十分かなと思います。

話もまとまっていましたし
ジェロスは薬物の禁断症状かってくらい
急激にオチてますし(笑)
トラウムの音量調節機能は笑えましたし
映画への伏線(?)も匂わせてましたし
サアヤはマジでもう売れっ子になってて
こんなんお母さんと共演余裕やんけ
とか思うんですけど(笑)

なかなか楽しめた回でした。
そして次回ね。ヤバいですね(笑)
プリアラ勢が最終回後の姿で出てましたけど、
魔法プリも大学生の姿で登場するんでしょうか(笑)
まぁ、魔法プリはハーちゃんの魔法でどうとでもなるから……。
というか映画の赤ちゃん化されたフェリーチェとかいう
ネジレ現象がやばい(笑)

オールスターズ映画以外での過去作とのコラボに
基本的に否定的な僕ですが
実際目の前にすると、
そりゃあワクワクはするさ!(笑)
ラブとかノゾミをテレビで観られるっていうのは
こう、ね。
色々な、難しいことは抜きにして
やっぱり、おーって思いますよ。

短いんですが、本当に眠くて(笑)
こんなところで、起きてから、次回を観るのが楽しみです。
まぁ、どうせ、録画で観るのは数日後になるのでしょうが……。
ではでは!

若おかみは小学生 映画版 感想

アニメ視聴済み 原作未読 ネタバレあり!
話題の、若おかみが小学生、の映画を観たので
感想を書こうかなと思います。
先に言っておくと、若干否定的な意見です。
ネタバレ対策でちょっと間をあけ
まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……






























……----------- ーーーーー----した!
はい、僕はあまりネットの評判を調べる方ではないんですが、
まぁたまたま目に入ってくる感想を観る分にはですね
もうみんな絶賛なんですよ!

作り手が誠実に作ってるのが伝わってくる作品ですしね
公式Twitterも、ちょっとした感想でも
マメにリツイートしてくれて、
作品の出来だけじゃなくて、
宣伝とか全体の姿勢込みで、
非常に好感の持てる作品であるのは
間違いがないなと。

ただ、それだけにですね、
正直、個人的には微妙だった、という感想が
すごく言いづらいんですよね(笑)
もうなんか肩身狭い(笑)
でも、基本的に、良い感想しか目に入らないんで
そういう中だからこそ、意見の多様性として
否定的なことを正直に言うのも意味があるかなと思うし
こんな目立たない場末のブログなら
みんなの空気も悪くしないかなって思うんで
ちょっと僕の個人的な感想を書こうかなと思います。

この映画を観て、まず思ったのが
尺が足りてない、ってことでした。
とは言っても、説明がはしょられて意味不明とか
詰め込みすぎでキツキツだっていう印象は
ほとんどないんです。
登場人物がこれだけ多いのに
スムーズに物語が展開しているところは
すごいなと思います。

ただ、原作未読なので少し想像が入ってしまうのですが
『若おかみが小学生』(以下『若おか』)という作品の
構造自体があまり映画向きではないと思うんです。
『若おか』は、簡単に言うと
両親を亡くした主人公・おっこが、
旅館を経営する祖母に引き取られて、
そこの若おかみとして、次々訪ねてくる
一筋縄ではいかないお客さんたちと触れ合い
それを通して成長していく物語、だと僕は理解しています。

つまり、
お客さんが来て→その問題を解決する
という一つのパターンがあって、
それを繰り返すことによって
物語を続けていくタイプの作品だと言えます。
ここには、主人公が成長するという
全体を通した一つの筋が、一応存在するわけですが
それは、物語の形式を作るための設定としての
役割が大きく、全体の縦の筋を進めることよりも
その設定の上で起きる個々の短編的な物語こそが
重要になるわけです。

こうした構造の極端な例を挙げるなら
つまりドラえもんです。
ドラえもんは、のび太を助け、成長させるために
未来からやってきました。
そういう意味で、のび太の成長こそが
ドラえもんの全体を通した筋だと言えるわけですが
それはドラえもんという物語を成立させるための
設定の一つであって、そんな大筋よりも、
一回一回の短編物語自体が、作品の中心であるわけです。

こうした構造の作品は
基盤になる設定さえ保っていられれば
短編的な物語をどんどん増やしていけるので
長期的に続けやすい構造だと言えます。
それなりの期間、放送を続けるような
アニメやドラマにはうまくハマる構造です。

一方で、この構造は基本的に
映画には向いていないと僕は思います。
なぜなら映画というのは、限られた時間の中で、
一つの物語を進めて、完結させないといけないからです。
全体を通した一本の筋の進み方こそが重要になってくる。
(もちろんドラえもんにも劇場版はあって、評価も高いわけですが
あれは一本の映画として、それだけで完結した作品ではなく、
ドラえもんという作品がすでに確立した設定を用いた、
ドラえもんという作品の一部としての長編作品なので
個々の短編物語と、構造的には同じ立ち位置になります。
ここで僕が言っているのは、作品全体を、一本の映画の中に
始まりから終わりまで、それだけで完結した作品として描く場合の話です)。

そういうわけで『若おか』は構造は元々、
映画向きでないと、僕は思うわけです。
それを一本の映画にしようとするのだから
当然、齟齬が出てくる。
『若おか』の映画はその齟齬を、
最小限に抑えて、うまくまとめているとは思うのですが
それでも個人的には違和感を覚えてしまった。
その違和感が尺が足りてないという感想に
繋がっているのです

例をあげましょう。
鈴鬼というキャラが『若おか』には出てきます。
宿屋にお客さんを呼んでくれるのですが、
基本的に厄介な客しか呼び込まないという
ちょっと困った小鬼です。
鈴鬼が初登場した時、
「お客さんが来るのは自分のおかげ」
的な発言をするのに対し、ユーレイのウリ坊が
「めんどくさい客ばっか呼んでるんじゃないか」
的な的を射たツッコミを入れます。
台詞はそれぞれ違うと思ますが
(正確な台詞は覚えてませんが)
アニメ版にも映画版にもあるやり取りです。

このやり取りは、アニメ版だと違和感がありません。
なぜならばアニメ版では鈴鬼の登場は後半で、
実際にめんどくさい客が何人も登場した後だからです。
成程、厄介ごとが多いのはこの鬼のせいだったのかと納得でき、
作品の構造に対するエクスキューズにもなっています。
一方、映画版では、鈴鬼が登場する前に出る厄介な客は
神田あかねというキャラだけです。
めんどくさい客が一人しか来ていない状態で、
鈴鬼にそういう発言をするウリ坊の意図を、
一瞬、捉えそこないそうになりました。
映画版では、ウリ坊の台詞が、実感を伴った、
視聴者の共感を呼ぶ台詞ではなく
批判的な軽口にしかなっていません。
他にも厄介な客がやってくる、その後の展開の
エクスキューズとしては一応働いてはいますが、
テレビ版と比較した時に、同じようなやり取りなのに
明らかにその魅力が損なわれていると言えるわけです。

しかしこれは仕方がないことです。
おっこ、ウリ坊、ミヨ、鈴鬼、真月……と
旅館に来る客を除いても、キャラが多いのです。
子ども向けアニメとして、90分以上にするのは厳しい。
その短い時間の中で描ける宿泊客の数は
限られています。
つまり、尺が足りてないのです。

映画全体で登場する主な宿泊客は3組だけです。
『若おか』の映画は、劇中の時間で、
ちょうど1年間の物語になっていますが、
僕はパンフレットを読むまで、そのことを
ほとんど意識していませんでした。
言われてみれば確かに1年経っているのですが、
僕が作品を見た実感では、
1年も時間が経っているように感じなかったのです。
その理由の一つが、この宿泊客の数です。
1年間で3組では商売にならないので、当然、
描写していないだけで、他にも宿泊客がいるはずです。
実際、主に描かれている3組以外にも、
おっこが祖母の旅館に引っ越してきた時にきた宿泊客等
他にも宿泊客がいる描写もあるのですが、
そういった他の宿泊客の存在を示す描写も
かなり絞られているので、どうも描かれていない部分の
広がりを感じないのです。そして話の進みも早い
(強引さがないのであまりそう感じさせませんが)
ので、時間経過の印象が、実際に描かれている時間より
ずっと短く感じてしまったのです。

時間が短く感じることには一つの弊害があります。
それは、日常感が得られないということです。
つまり、おっこが、ウリ坊やミヨと、それなりの時間を過ごしてきた、
ウリ坊やミヨの存在が、おっこにとって日常的なものになった
という感覚が、どうにも弱くなってしまうのです。
その結果、僕はウリ坊やミヨが消えてしまうと聞いた時、
その悲しみを、おっこと共有することができなかったのです。
『さようなら、ドラえもん』で、ドラえもんがいなくなるのが悲しいのは
ドラえもんがいるということが、当たり前の日常になっていて
その、のび太の日常感を、読者が共有しているからです。
でも、僕はおっこにとっての、ウリ坊やミヨに対する日常感を
観ている間にちゃんと持つことができなかった。

少なくとも僕にとっては
話の流れがスムーズで早すぎたのです。
日常感を得る前に話が進んでしまった。
ただ、日常感という意味では、テレビ版と映画版で
日常と非日常の捉え方、ないし
ウリ坊やミヨの捉え方が、少し違うのかもしれない、
という部分もあります。
その話はまた後で話すとして、
話がスムーズという点について、もう少し触れます。

話がスムーズすぎると、少し困ったことが起きます。
それは、主人公のキャラクター描写が
薄くなってしまうということです。
テレビ版もテレビ版で、かなりザクザクと
話が進む印象でしたが、基本的に、
二話で一つのエピソードを描くという感じで、
一つの問題を解決するのに、単純に言えば
30分程度使えたわけです。
しかし映画ではそんなに時間を使えないので、
厄介なお客さんが来ても、問題は
比較的スピーディに解決していきます。
しかも、テレビ版はそうしたエピソードを
いくつも重ねられましたが、
映画では主な宿泊客は3組なのです。

『若おか』は構造上、
宿泊客との触れ合いにこそ、
物語の肝があって、テレビ版にしても
宿泊客との問題にどうぶつかって
どう解決していくかということで
おっこのキャラクターと魅力を
引き出していました。
テレビ版では、苦労しながら
問題を解決するおっこの
明るく前向きで、自由なアイデアと
善良な心を持ったキャラクターに
非常に惹かれました。

しかし、どうも映画版は、
問題がスピーディに解決してしまうせいで、
おっこの魅力が薄まっているのです。
一番苦労するのは3組目の宿泊客ですが、
それはクライマックスの話なので、
そこに至るまでに、キャラクターの魅力を
確立しておく必要があります。
しかしどうも先の2組は、話がスムーズすぎて
おっこの個性がハッキリと見えて、
さらにそれが魅力的になるほどには
僕は感じなかったのです。

映画『若おか』の感想で、
おっこがエグいくらい辛い目にあって云々
というものをいくつか見たのですが
僕はそういうエグさはあまり感じませんでした。
なんでだろうと考えたのですが、
多分僕が、おっこに対して、
そこまで入れ込んでいなかったからだと思うのです。
両親が死んで、おっこがかわいそうだな、
とは、当然思います。
でも、かわいそうだな、から一歩進んで
この子には幸せになってほしいな、というところまでは
僕の感情は進まなかった。
おっこに対して、本当に幸せになってほしいと
入れ込んでいたら、おっこに起こる様々な不幸が
とてつもなくエグく感じたに違いありません。
でも僕は、映画版のおっこに、
そこまでの好意を持たなかったのです。
もちろん敵意も持っていませんが、
映画のおっこを特別魅力的なキャラだと
感じなかったのです。

キャラの魅力という点では、
他のキャラもそうです。
例えばミヨですが、彼女は自分の家族に
存在を気付いてもらえない、悲しい幽霊です。
映画版でもその設定は説明されるのですが
どうもアッサリしている。
真月を馬鹿にすると怒ったり、
姉として真月のことを思っている描写もあるけれど、
例えば、テレビ版では、照れた時の真月の癖を
知っていたり、おっこにはわからない真月の
心情を解説したりして、真月のことを
本当によく見守って知っていることが
もっとハッキリ描かれていました。
さらには、真月の祖父のエピソードもあって、
ミヨというキャラクターやその家族との関係が
もう少し詳しく描かれていた。
だから、真月がミヨの存在を感じ取った時、
すごくグッとくるのだけど、
映画版は、ミヨのそういう部分の描写が
触れられてはいるけどアッサリしているので
真月がミヨの存在に言及するシーンで
僕の心が感動の閾値まで達しないのです。

もちろんテレビ版と比べるのが
不公平なことはわかっています。
テレビ版はずっと尺があるのだから。
しかしつまり、逆に言えば
映画版は尺が足りてないのです。
真月についても、キャラの描き方や
おっこと仲良くなる流れなど、
ものすごく足りない感じがしました。
描写に余裕のあるテレビ版を先に
観たせいかもしれません。
真月はもっと魅力的なキャラだし
おっことの関係ももっとおもしろいのです。

ここまで書いてきて、僕はようやく、
尺が足りてない、という感想を
自分が抱いた本当の理由がわかりました。
それはもっと尺に余裕のあるテレビ版を観て
知っているからなのです。
『若おかみは小学生』という作品は
尺を使えば、もっと魅力を引き出せる作品だと。
つまり、尺が足りてないと僕が思ったのは、
映画スタッフのせいでもなんでもないのです。

『若おかみは小学生』という作品が持つ
ポテンシャルに対して90分は尺が足りてないのです


きっとそこに、ある種の不足感を感じて
ずっとピンとこないまま、映画を観終わってしまったのでしょう。
僕の感想の大筋は以上ですが、あとは一つだけ、
テレビ版と映画版の、日常感、非日常間の扱いの違いについて
書いておこうと思います。

20巻もある原作が、どう終わったのか、僕は知らないのですが、
テレビ版では、おっこはウリ坊とミヨとは別れずに終わります。
しかし映画版では、ウリ坊とミヨは、おっこと別れることが示されています。
この違いが、テレビ版と映画版の最大の違いかもしれません。
テレビ版においてウリ坊たちは、おっこの新しい日常として定着します。
しかし、映画版では、おっこが両親の死を受け入れるとともに、
ウリ坊とミヨも消えてしまうものとして描かれています。
つまり両親の死という非日常と同じく、
一時の非日常の存在として、ウリ坊とミヨは描かれているのです。
そうした理由はなんとなくわかります。
映画ではおっこが、両親の死を受け入れることを、大筋としています。
その場合、人の死を受け入れることと、幽霊が存在することは
ある面で、相反しているからです。
僕が映画のウリ坊やミヨに、日常感を感じなかったのは
描写の尺が足りていないことだけではなく、
映画の中での根本的な二人の扱い方によるところも、あったのかもしれません。

以上、映画『若おか』の雑感でした。

名探偵っとプリキュア#34

ちょっと行儀が悪いですね……
どうも!ちょっと土曜が忙しそうなので
早めに感想を書く僕です!

まぁ、今回はそんな言いたいこともないんですが。
ハナの妹が、ハナがプリキュアじゃないかと思って
色々探りを入れる話……と思ったら違いまして
ハナの妹が、ハナがキュアエールに迷惑を
かけてるんじゃないかと思って探りを入れる話、でした。
ちょっとひねった感じですね。

心情的な面で捉えると
お姉ちゃんの駄目さ加減に呆れていた妹が
お姉ちゃんに対する憧れの気持ちを
再確認ないし再発見するという話、
と言うこともできます。

それで中盤、妹がもっと小さかった頃のことを
回想するわけですけど、こういう回想って
唐突さを消すために、冒頭にさわりだけでも
チョコっと入れたくなりますよね(笑)
でも、HUGプリは前説があるから、
冒頭に回想は入れづらいんですよね。
ところであの前説は、メンバーが揃ってから
ほぼ固定になってしまって、初期の
一人一人だったり、果てはハグたんだったり(笑)
というバラエティがなくなってしまったのが
非常に残念ですね。

話はまとまっていたと思いますし、
プリキュアのことがバレないかと
焦るエミルの描写とかおもしろくて
印象に残りました。

ただ、一点、ものすごく気になったのは
オムレツを食べるハナの描写ですね。
まぁ、作画の乱れのせいな気もするんですが、
こう、体を乗り出して、ガツガツ食べているのが、
行儀悪ぃなぁと……。
ちょっと僕は不快感を覚えてしまった。
神経質なのかもしれませんけど、
食べ方のきれいさみたいなのって
やたら気になっちゃったりするじゃないですか。
箸の持ち方とか(笑)
ハナの食べ方が、おいしそうに食べてるなとか
気持ちいい食べっぷりだなとかじゃなく
単純に行儀が悪いなって思っちゃったんですよ。
そんな姿勢でご飯食べるなよって思っちゃった。
そりゃあ妹も失望するはって(笑)

他に気になったのは、ジェロスさまですかね。
戻ってこないとか、捨てられた的なことを
言ってるんですが、アレは誰に対して言ってるんですかね。
パップルさんの時と同じように、
社長に対して、自分への愛が失われたと
嘆いているようにも見えるんですが
(あの部屋に社長が遊びに来なくなったとか)、
カットの切り替え方を観るとですね、
嘆くジェロスさんのシーンの直後に、
ジェロスさんの元部下の姿が映るんですよ。
この繋ぎ方だと、元部下に対して嘆いているように
解釈するのが普通かなと思うんです。
でも部下が戻ってこないのは、若さとか美しさとかじゃなく
単純に扱いが悪かったからとしか(笑)
まぁ、両方に対してなのかもしれませんけど、
なんか唐突に絶望モード入ったなぁと感じてしまった(笑)

で、絶望した結果、ロックバンドのKISSみたいになってしまった(笑)
いやいや、確かにKISSは年季の入ったバンドだけどさ
歳取ったのを気にしてる人がマネする格好じゃない。
若気の至りすぎる(笑)
あるいは山姥的なイメージなのかもしれませんが。
ハナの妹がジェロスに立ち向かうシーンで、
ジェロスが敵だって知ってるんだっけと一瞬思ったんですが
こんな格好してあんな台詞を吐いてたら
誰でもこいつが事件の犯人だってわかるか(笑)

前回のアンリくんスカウト事件を見るに、
元々超常的な力が使える人じゃなくて、
一般人を勧誘して利用しているみたいなので、
クライアス社を退社すれば、また一般社会に戻れるわけですね。
だから、ジェロスさんの元部下の二人も普通に働いてましたし、
今後、浄化されれば、ジェロスさんも普通に暮らし始めるのでしょう。
そしたら、また三人一緒になって働きだすかもしれないですね。
元部下の二人が、ジェロスさん浄化のきっかけか何かになる
なんて展開もあり得るかもしれませんね。
個人的には、ジェロスさんは浄化後、元部下とタレント事務所を作って
パップルさんとライバルになるとか、そういうんだったら楽しいなと思います。

あとは、吹奏楽部の彼。ハナに片思い中の彼ですが、
お祭りの時より落ち着いてる感じでしたね(笑)
脚本家によって若干ブレがあるというか、
いや、お祭りの日ってテンション上がっちゃうから
あの日はしょうがなかったのかもしれません(笑)

次回は、サアヤがお医者さんに?
女優の道はどうした?役作りのための取材かな?
というか青いヤツラはみんな医者になろうとしすぎ(笑)
秀才キャラゆえなんだろうなぁ。
ま、感想はこんなところですかね。次回も期待しましょう。ではでは!

ここから余談
HUGプリが、LGBTや性についての差別問題を
しばしば扱うことについて、少し思うところがあったので
ツイッターにも書いたのですが、ちょっと文章を修正しつつ
ここにも考えたことを書こうかと思います。

HUGプリが、そういう問題を扱うことについて
そういうことをしてほしくないとかは思わないんですが、
ただ何で今更なのかなっていう気がするんです。
特に「女の子もヒーローになれる」という主張は、
初代から当然のように示されてきたことで、
それをわざわざ今、言語化して主張する必要性は何かなと思ってしまう。

「女の子でもヒーローになれる」なんて、
わざわざ言葉にして説明しなくても、
プリキュアというシリーズが体現してきたことであって、
もはや当たり前に受け入れられていることなのに、
それを今さらHUGプリがわざわざ強調して主張することに違和感があるわけです。

差別問題の難しいところで、
差別に対する反対は、肯定と表裏一体な部分があって、
差別に反対することが、差別をより顕在化させ強化してしまうということが、
ありえると思うんですが、つまり
「女の子でもヒーローになれる」と宣言することは
「女の子ではヒーローになれない」と思っている女の子を励ますけれど、
「女の子ではヒーローになれない」なんて全く考えたことない女の子には、
逆にマイナスのイメージの種をまくことになるかもしれない。

言語化して主張することには、そういう弊害もある。
だから、わざわざ言葉にしなくても
体現して示して見せることができるなら
それでいいんじゃないかと思う。
女の子がカッコいいヒーローになるアニメを見せれば、
言葉にしなくても「女の子はヒーローになれる」ってちゃんと伝わる。
だからこそプリキュアというアニメは成功したのだと思う。

HUGプリはメッセージを台詞にして
強く主張するように描いていく場合が多いように見える。
ちゃんと言葉にすることが大事な場合は多々あって
その方法を否定するわけではないけれど
LGBTや、あるいは他に対する差別について
わざわざアニメの中で反対の意を示そうというのなら
いわゆる被差別的な要素を持っているけれど、
そんな差別を、存在しないかの如く軽やかに飛び越えていくような、
カッコいいキャラを作って見せちゃえば、それでいいんじゃないかと、
そういうキャラを描くのは難しいし、これは理想論かもしれないけれど。

例えばパワパフガールズZには、男勝りで
スカートや女の子っぽい服が大嫌いな女の子とか
いたじゃないですか。
あのキャラは、女性差別について
何かを発言したりはしないけれど
きっとあのキャラの存在自体が、
同じように、番組を観ている
女の子らしい服に違和感を持つ女の子に、
勇気を与えたはずだ。

HUGプリの主張や描写を、
「踏み込んでいる」とか「進んでいる」とか
評価する人も当然いると思うのだけど
でもそういう要素は、明確に宣言していないだけで
これまでもしっかりとあったわけで
(もちろん、HUGプリ特有の要素もあるわけだけど)。
HUGプリのやり方は確かに、
明確で、力強く、刺激的だけれど
それは様々なやり方の中の一つの方法であって
その評価は、冷静に考えていかないとならないなと
そんなことを思うのです。

以上です。
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