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一年間ありがとうつかいプリキュア#49、50

魔法つかいプリキュア
一年間、ありがとうございました!


いやぁ、先週の土曜日に書こうと思ってたんですが……
ちょっとお酒を聞し召してしまいまして……

そういうわけで、49話と50話一緒の感想となりました。

実は、魔法プリは、正直に言うと毎回、感想を書く筆があまり乗らなかったんですね。
それは魔法プリが嫌いだからではなくて、むしろ好きだらかだったんですが、
というのは、魔法プリを見ていて、よく出来てるな、と思ったことはないんです。
正直、出来はあまり良くないと思うし、アンチの方々のいうことも
ある程度は納得できる意見が多い。
だから、ある程度、客観的な視点を意識して感想を書くと
批判的な意見をどうしても書くことになってしまう。
ただ主観だけで言えば、魔法プリが嫌いじゃないわけです。
そのギャップが、どうも、感想を書くのを億劫にするところがあって。

魔法プリは好きですね。マックスにではないですが。
アルゼンチンタンゴの革命児、アストル・ピアソラ風に言うなら
「好きだ。狂う程ではないが」といったところです。

どうして好きなのと言われると、難しい。
今までの感想でハピプリやプリプリに文句を言ってきたわけで
特にプリプリは、多分、端から見ればかなり難癖的な
文句をつけているように見えたんじゃないかと思います。
そういう中で、話の構造や設定の作り込みとしては、
おそらく甘い部類に入る魔法プリを、好きだというのは
ダブルスタンダードと言われても仕方がない。

ただそうは言っても主観として、嫌いじゃないんですよねぇ。
色んな要素があるとは思います。それは単純に作品に限らず、
僕が大人になって許容範囲が広がったとか(笑)、
あるいは個人的にピンと来ないプリキュアが続いて
もう文句を言い続けるのが嫌になったとか(笑)
意識、無意識関わらず、様々な要因が関わって、
今、僕は魔法プリが好きなんでしょう。

オズの魔法使いの続篇、シリーズ9作目に当たる「オズのかかし」に
出て来る台詞を紹介します。
この話の中で、主人公達はグロリア姫の恋人を助けるのですが、
この恋人の男が大したことのない男で(笑)
グロリア姫は素晴らしい女性なのに、なんでこの程度の男が好きなの?
みたいなことを、まぁ主人公達が言うわけです(ひどい!)。
それに対してグロリア姫がこう言います。
『あなたももっと大きくなったらわかるわ。娘というものはだれを愛するか、
だれがいちばんふさわしいか、自分できめることはできないってことをね。
それは心が勝手にきめることなの。だから心がだれをえらぼうと、
その相手がたいしたひとであろうとなかろうと、娘はそのひとを
愛さなくてはならないのよ』

なお、オズシリーズは新訳版が今出てますが
↑は旧訳の佐藤高子訳に基づいています。

まぁ、つまり僕は娘ではないですが(笑)
心が魔法プリを好きだと選んでしまったということですね。
多分、主人公達が、こっそり魔法を使ったりとか、
少しいけないことをしているところ、
それから、少し行き過ぎた所もあったかもしれないけど、
自分の見える範囲、手の届く範囲に基づいて、
世界と関わっていたところ、
そういう部分が好きだったんじゃないでしょうか。
これは同時に批判されている部分でもありますけど(笑)

長々、話しましたが、各話の個別の感想に移ります。
○49話
色々文句、不満はありつつ、やはりこういう別れの話はグッと来てしまう。
二つの世界が離れていく。
そしてミライとリコも離れていく。
というヴィジュアルがすごく良かったですね。
本当に、離れていくんだって感じがして。

初見時、ぼーっとしてて気付かなかったんですが(笑)
最後に、レインボーキャリッジが冷凍みかんになったんですね。
クリスタルに覆われた太陽の魔方陣が
氷に覆われた太陽のみかんになる、
と指摘しているツイートを見て、なるほどなぁと。
最初に出て来た時はここまで引っ張るとは思いませんでした。
プリキュアの食べ物と言えば?と聞かれた時
初代ならタコ焼き、フレッシュならドーナツですが
魔法プリは冷凍みかんと答えるべきか
イチゴメロンパンと答えるべきか迷うところ。
なお5は餡子。

その後ミライが大学生まで成長したのには驚きました。
二つの世界が分裂した後、ミライの家族が
空を見て泣いていたので、世界が繋がっていた時の記憶があるのかと思ったら、
ミライ成長後の勝木さん達の会話を聞くに、デウスマストが
捻じ曲げた時の記憶は残っていないようですね。
まぁ、泣いてた時は終わってすぐだから、記憶が混濁していたのでしょう。
そうなると、やっぱりデウスマストが繋げた時の世界にいた人々って、
本来の人々と内面が違うというか違う人生の記憶を持つ人たちであって
ある意味で繋がっていない世界の時とは別人という感じがします。
だから、最後の戦闘での、世界の人々の力を合わせて、
みたいなのは、ちょっとノレなかったですね。
そういう意味で、あの場面での人々は、それまでミライ達が
関係を築いてきた人々とは違う人だと言えてしまうわけですから。

大学生になったミライ。
魔法使いについては周りに話していない。
勝木さんも相変わらずで(笑)

勝木さんについては、結構色々考えて
問題だって意見もよくわかります。
でも個人的には、やはり最終的に
そこまで気にはならない部分でした。
仮に僕が勝木さんの立場になっても
全然ミライに腹が立ったりしないしなぁと思ってしまうからかもしれません。
ただ、僕が平気でも勝木さんは平気かわからない、
あるいは他の人が勝木さんの立場になった時
平気と思うかわからないとか、
あるいは勝木さんが平気かどうかではなく
勝木さんがそういう状況になることを
気にもかけないミライの人間性が問題とか
そういう意見があるのもわかります。
そういうのが気にならないあたり、
僕は無意識に人を虐めているタイプかも知れないですね(笑)

大学生になって、ちゃんとやってるけど
楽しくやってるけど、やはり、心に残っているものがある。
木の棒を持って、必死に呪文を唱えるミライの姿は胸に来ますし、
最終的にリコとハーちゃんに再会できて、本当に良かったなぁと思います。

ドキプリ的な世界融合オチと思いきや、再び世界が繋がったところで終わり。
二つの世界が交流を深めるのは、またこれからなのだという、
可能性を感じさせるラストで、綺麗に終わったなぁと思いました。
で、観終わった後
え?50話なにやんの?と(笑)


○50話
なんかもうやりたい放題でしたね(笑)
大学生になったリコとミライをハーちゃんの魔法で中学生に戻すというのはすごかった。
魔法界の面々だけでなく、是非、ナシマホウ界の面々に会って、あたふたしてほしかった(笑)

すごいなと思うのは、これが許されると、
これから先、ドリームスターズやなんやで僕らの前に出て来るミライ達は
ハーちゃんの魔法で若返った姿だという言い訳が成立するということですね。

つまり、ミライ達は成長を続け、自分達の物語を継続させている、
その一方でオールスターズにも参加できると言いますか、
キャラクターをサザエさん時空に閉じ込めてしまうことを
毛嫌いしている村山さん的な発想だなと思いました。

そして、お祭り的な回でありながら
ヤモーのアフターケアをしたのにはびっくりしました。
バッディ、ヤモーの平和的な後処理には賛否あるとは思いますが
(だってお前、主君殺されてんねんぞ(笑))。
そう言えば、色々なキャラがカメオ出演していた50話、
ソルシエールさんには気付いたんですが
クシーの足には気付かなかったですね。
復活したのか、校長に寄り添う魂のイメージなのか、
解釈は色々、好きなように捉えればよいかなと思います。
個人的にはあまり生き返りが好きではないので、
まぁ魂の断片というかイメージのようなものかなと捉えています。

そして次回作のキュアホイップも登場!
NS3のキュアハニーみたいに助けてくれました。
ついでにモフルンの形のケーキも食べさせてくれました。
本編でもあんなお店みたいなのやるんでしょうか?
お店屋さんごっこは女の子好きですからね。人気出てほしいです。
プリキュアアラモードについては、そんなに心配していないです。
むしろプリパラ四期の方が心配です。

そう言えば、魔法プリの人気ですが、
視聴率は結構悲惨だったようで、それは非常に残念。
録画が増えたとはいえ、やはりある程度の指標にはなると思うので。
僕も、プリパラの一期を配信で観てたけど、次の話が早く観たくて
テレビ放送で観るようになりましたし、本当におもしろければ
録画して後で観るなんて我慢はできないですよね。
だから、全く、無意味な数字とは思いません。
玩具の売り上げは回復したようで嬉しいところ。
モフルンの人気は大きいでしょうね。
結構、色んな場面で、子どもって本当にモフルン好きなんだなぁって
この一年は思わされました(イベント会場とか映画館とか)。

個人的に、魔法プリの玩具が売れた理由を考えると、
ある意味で、魔法プリでなくても良い物、だったからかなと思います。
つまり、モフルンは「喋る熊のヌイグルミ」なわけで、
それだけ聞くと、プリキュアの商品じゃなくても欲しくなりますよね
あるいはリンクルスマホンは「たまごっち」なわけで、
これだって、プリキュアでなくてもほしい玩具です。
プリキュアでなくてもほしくなる玩具に
プリキュアを合体させてるんですから、そりゃ売れますよ。
それに、玩具を買う大人、お母さんやあるいは祖父母に対しても
そういうものはわかりやすいと思うんですよね。
子どもが欲しいからといって、訳の分からないものを買うのは
ちょっとためらわれるじゃないですか。
でも「喋る熊のヌイグルミ」だったら、
プリキュア知らなくても魅力がわかりますよね。
「たまごっち」も今なら流石にわかるでしょう。
リンクルストーンだって、つまり宝石の玩具です。
プリキュアを見てない大人でも、それがどういうもので
どういう魅力があるのかがわかる、というのは強みだったんじゃないでしょうか。

玩具に限らず、「魔法使い」と「プリキュア」の時点で、
両方独立して商品価値のあるビッグネームなわけです。
前年の「プリンセス」もそうです。
ですがプリプリは「プリンセス」を既存のイメージとしてではなく
作品内で新しく定義する方向で使いました。
これはそれが良かった悪かった、作品の出来の良し悪しとは関係ありませんが
玩具を売ったり、宣伝したりするのには不向きだったかなと思います。
つまり、魔法プリは、一言で「魔法使いのプリキュアです」と説明できますが
プリプリは「プリンセスを目指しているプリキュアです」と言っても
あまり正確な説明にならないですよね。
プリンセスって言うのは王族のプリンセスって意味ではなくて
夢を目指し逞しく努力する人間という意味で、みたいな説明が必要になります。
そして、玩具も鍵であったりパッドであったり、
一言でプリンセスと繋がる類のものではありませんでした
(「プリンセスになるレッスンをするためのパッド」と言われても
理解はできますが、ちょっとピンときませんよね)。
何度も言いますが、これは本質的に作品がおもしろいかとか、
玩具がよく出来ているかとは関係ないことで、
ただ単に、物を売ったり宣伝したりする場合に一言で説明できるということが
強力な武器になるということです。
魔法プリの玩具が売れた一因に、そういう事があるんじゃないかなと思います。

そんなわけで
50話は、お祭り回でありながら結構、色々、見所のある回でした。

○まとめ
魔法プリについて、記事の冒頭にも全体的な印象は書いたので、最後に一つ。
マザーラパーパが、世界を一つに繋げる魔法が「プリキュア」だと言いました。
でも、ミライやリコ達が、左程、世界を繋げていないじゃないかという指摘があります。
それは確かにそうで、リコが人魚やバッディさんやらを魔法学校に招いたり、
そういう部分はありますが、ナシマホウ界と魔法界の繋がりは
補習メイトと勝木さん達との交流くらいで、最後まで大きく変化はしませんでした。
そしてミライやリコがプリキュアになる前から、些細な交流は、それぞれの場所にあったのです。
ミライ達が繋げたものは、本当に僅かな部分でしかありません。

ですが、プリキュアってなんだろうって考えると、
「女の子は誰だってプリキュアになれる」という言葉があります。
これは対象年齢が女の子だから女の子と言っているだけで、
僕は「人間は誰でもプリキュアになれる」というくらいに解釈しています。
プリキュアに限らず、全てのヒーローがそうだと思いますが
ヒーローがヒーローたる由縁はその心にあって、
そしてヒーローの心は、全ての人間に宿っているのだと。
だから例え変身できなくても僕達は、その心に正しく向き合えば
仮面ライダーであり、ウルトラマンであり、プリキュアなのだと思うのです。
だとするなら、マザーラパーパがかけた魔法「プリキュア」は、
本当はリコやミライだけのことではないかもしれません。

その魔法は、僕達一人一人の心の中にかけられているのかもしれません。
僕達一人一人の心が、世界中に暮らす人々の些細な繋がろうとする思いが、
きっと世界を繋ぐ魔法「プリキュア」なのではないでしょうか。
例えばミライやリコとはあまり関わらないところでも、
勝木さんとマユミさんが繋がったように。
全ての人の心にある他者と仲良くなろうという思い、それが「プリキュア」。
キュアップラパパ!
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人類補完計画つかいプリキュア#48

う~ん、良くない(笑)

48話は単純に30分アニメとして退屈だったなというのが本音。
ほとんど全部言葉で説明の上、覚醒したハーちゃんが
ご都合的に全てを理解して話し始めたからなぁ……。

ただ、言葉で説明すること、というのが、
子ども向け番組において、絶対的に悪いか、
というのはここ最近、僕も悩んでいることなので
そこは置いておくにしても、
単純にわかりづらかったですよね

幸せな日常的な描写から入ったと思ったら
いつの間にか世界的な危機になってて(笑)
で、今はすげー幸せな雰囲気になってるけど
それは全てが強引に統合されて滅びる過程であって、
最後には世界が滅びたみたいなよくわからん境地で
プリキュアとデウスマストが戦っているという……。

ちょっと単純に話の流れについていけなかった部分が多かったですね。
子どもにわかりやすく、が本作の一つの狙いだとすると、
これはどうなのかなと思いました。
僕が子どもより頭が悪い可能性は重々承知の上ですが(笑)

とにかく、冒頭はナシマホウ界と魔法界がくっついた世界から始まります。
リコ達が魔法を使っても誰も驚かない。
補習メイトとナシマホウ界組が仲良くしていますが、
魔法を使える人間と使えない人間がいる状態ではある模様。
この世界の勝木さんが魔法を使えるかは不明(笑)
久々に例のネコが登場し、猫とお話しする魔法等、
懐かしい魔法を使ってみたりします。

まぁ、皆が仲良くなって良かったね!ウルトラハッピー☆
てな楽天的になるわけには当然いかないわけで
校長先生に相談に行く。
そこでハーちゃんが色々思い出したりなんだりして
デウスマストは世界の生命エネルギーを一つにまとめることで
膨大なエネルギーを生み出し、その力を持って
世界の全てを破壊し一つのカオスに還元しようとしているらしい、
ということがわかります。

そして現在はその過程で魔法界とナシマホウ界が
強引に一つに統合されて、
宇宙の法則が乱れている状態である、と。
このままだと、全てが滅んでしまうということで
デウスマストを倒さねばならない、ということになりますが、
現在は二つのゴム玉が強引にくっ付けられている状態で、
押さえている力を失くすと、二つの世界はそれぞれの弾力で
遠く離れていってしまう……もう今までのように
二つの世界を行き来できなくなるほどに。
この説明だけは感覚的でわかりやすかったですね(笑)
なるほど、と(笑)

で、まぁデウスマストとの戦いに行くわけですけども
さっきまで遠くの空が曇ってても、のほほんとしていた住民が
いつの間にか、なんかヤバイよヤバイよって感じになっていて
校長も、安心してほしいとか全国放送し始めるし、
この辺りの流れが置いてきぼりくらった感。

魔法界とナシマホウ界が一つになっている世界というのは、それ自体はあまり問題がなくて
(知らない間に世界が再構築されている、という点は非常に問題ではあるわけですが)
だからこそ、その終点に、世界が滅びるんだ、というものを置かないと
物語としてプリキュアが戦う理由が消失してしまう。
ただ、問題のない世界を放置すると、世界が滅びてしまう、という流れ
あるいは、世界が滅びるという結果に至る過程に、
主人公たちが望むような平和な世界を置くという流れには
個人的にはちょっとしっくりこない感じを抱いてしまう。
ただ、これは個人的な美的感覚によるもので、意図が全く分からないわけではないけれど。

やはり、ムホーとハーちゃんの力が同種だと示唆されていることからも、
ムホー勢とプリキュア勢は、敵対しているけれども、
実のところ、表裏一体というか、ある種の同一性を持っていると言えるでしょう。
初代プリキュアで、滅びの力が単純な悪い力ではなく
この世に必要な力だけれども、ただそこにバランスが必要なのだ、
という、単純な善悪二元論でない思想が提示されていたように
魔法プリも同様に単純な二元論で割り切れない思想を指向しているのは
多分、間違いないかなと思います。

だから、今回も、デウスマストが世界を滅ぼす過程で、
プリキュア達が目指している世界が一度提示される。
デウスマストとプリキュアが目指している方向性は
実のところ、重なっている、ということです。

混沌を目指すデウスマストに対して
それと戦うプリキュアは秩序の戦士と捉えることが出来ますが、
この混沌と秩序というものが、実は非常に曖昧なものです。

例えば、デウスマストとの戦いで、世界がバラバラになった今の状態は
複数の世界がバラバラに存在している、という点では
秩序が崩壊し、混沌が訪れたように言えます。
でも、別々の世界が最低限の干渉だけを残して区分されている、
という意味では、非常に秩序だった世界だということができます。

つまりそれは捉え方によってどちらともとれるし
デウスマストを封印したことによって、過剰に秩序化されたのが
現状の世界だということも出来るわけです。
そうすると、その世界を再び繋ぐ魔法、プリキュアとは
実は世界を混沌へと導く魔法なのだと言えるかもしれません。
そうなると、方向だけは、本当に、魔法プリとデウスマストは同じだと言ってしまえます。

デウスマストの究極的な目標、全てを一つの混沌にする、
というのも、全てが一つになるという点で、
究極的に秩序だった世界ということも出来ます。
そうなると、秩序と混沌って、何だろうって
もうほとんど言葉遊びになってきますね(笑)

だとしたら、プリキュアとデウスマストの違いは何だろうというと、
まぁ、結局、初代と同じ答え、バランスってことじゃないでしょうか。
デウスマストは何の断りもなしに世界を捻じ曲げ究極の混沌へ持って行く、
プリキュアはミライが言うように「自分達の力で」繋がった世界に、辿り着こうとする。
多分それが、プリキュアとデウスマストを区別するもの。

今回出て来た生命云々、という話を考えると
エントロピーの哲学も魔法プリの基盤にありそうですね。
実は僕、エントロピーについては非常に不勉強なので、
適当な事を言いますけども(笑)、シュレイディンガー著「生命とは何か」
のウィキからの引用を使って書かせていただけば
物事は時間が経てば、エントロピーが増大(無秩序化)するけれども
『生物が生きるための手段として環境から「負エントロピー」を絶えず摂取している』
ことによって
『生物が生存することによって生じるエントロピーを負エントロピーによって相殺することで、エントロピーの水準を一定に保持している』
のであって
『この事態は、エントロピー増大の法則が、開放されたシステムにおいては成立しないことを示しており、平衡状態とは別種の安定が成り立つとシュレーディンガーは述べている。』

つまり生命には、究極の混沌として安定している平衡状態とは
別の安定状態を作り出す力があって、そしてそれは
解放された、開かれた世界において成立する、と。
魔法プリの根底にやはりこういった思想は流れていそうです。


今回は見ていて、世界が最初から魔法界とナシマホウ界が
一つだった世界に再構築されているというのが
初めから魔女のいなかったように
世界を再構築したまどかマギカみたいだなと思って(笑)
僕は実はまどかマギカのラストは大嫌いなので
それをプリキュアが否定してくれたのは嬉しいんですが
その後、デウスマストが全てを一つにとか言い出したあたりで
おい、今度はエヴァンゲリオンの人類補完計画かよ!って(笑)
多分来週はミライがリコの首を絞めて
リコがミライに「気持ち悪い」って呟くんじゃないでしょうか(適当)

この全てを一つにから、プリキュアの、一人一人違うのが大事
みたいな話の流れも、ちょっとスムーズじゃなかったなと
置いてけぼり感を喰らったり、話としては褒められた一話ではなかったと思うんですが
色々と考えたりはしました、という魔法プリ48話。
ダイヤとエメラルドがミトメールして魔法陣が完成した所で次回へ。
次回は声優さんがイベントですごく推していた回らしいので
期待して待ちましょう。では。

新年つかいプリキュア#47

DMMシアター行ってきました!

たまたまツイッターで宣伝を見まして、
噂の立体映像を観て来ましたよ!

感想としては
すっげー!立体だ!プリキュアがそこに立っているよー!
って程ではなくて(笑)
今はこういうことが出来るんだなぁって、感じで。
30分くらいの短いショーで、楽しかったんですけども
なんかプリキュアオールスターズ!みたいな雰囲気を宣伝で出しているけれど
実際に立体映像として出てくるのはドキドキ以降のチームだけだったのは残念でしたね。
それ以前のチームは二次元アニメ絵での登場でした。
まぁステージ見た時点で、プリキュア全員が乗るのは難しそうだなって思いましたけど。
ドキドキ以降のチームも登場は一瞬ですし、ちょっと寂しかったですね。
映画のEDダンスみたいなのを立体で観られるんだと、
勝手に期待を膨らませていた部分もあったので(笑)

初の試みですし、色々制約もあったんでしょうし、贅沢は言えませんね。
おそらく新録だと思うんですが、各シリーズのセンターポジションというか
ブラック家族とか俗に言われるプリキュアには一言ずつですけど声がありましたし、
むしろファンサービスとしてはかなり頑張った結果なのかもしれません。

会場は想像より小さくて、外に撮影用の
等身大のプリキュアのパネルがあって、
あと大きなモフルンのぬいぐるみと一緒に撮影できるスペースがありました。
子どもが「あんまりおっきくない」って言ってて(笑)
確かに、実寸よりは大きいけど、宣伝で煽るほどの大きさではなかったかも。

それと雪だるまモフルンみたいな白いモフルンの人形も展示されてて
これはなんなのかよくわからなかったですね(笑)
ゲームコーナーもあって、画面に映る妖精に画面の前で体を動かして
タッチするみたいなゲームだったんですが、参加は自重しました。
平日で人は少なかったですけど、ほら、子どもが主役の場所だから
もう肩を潜めてましたね(笑)
すっげーおどおどしながらパネルの写真とか撮ってたら
係員の人に「モフルンと一緒にお撮りしましょうか?」
とか声かけられてハハハ……
新年早々今年一番の辱めを受けた気分(笑)
後は本当に映画館の売店コーナーみたいな売店があって
5000円くらいするプリキュアのキャンバスアートが売り切れてて笑った。
仕入れ自体少ないんだろうけど、流石ここまで来るプリキュアファンは気合が入ってるなと(笑)
僕?アクリルスタンドキーホルダーの一番安いやつ買った(笑)

子ども達がキュアフローラの話とかしてて、
なんかプリキュアごっこでフローラ役の取り合いになるみたいな。
流石こういうところに来るプリキュアファンは
幼女でも年季が入ってるなと(笑)

と、DMMシアターの感想はこの辺にして
ここから魔法プリ47話の感想です

お正月のんびりムードからラストは急展開な一話でした。
初詣に行くミライ達ですが、その日でお正月休みの終わりだということは
元日でないのは間違いない。
元日に初詣にはいかなかった模様。
そもそもあんまり初詣とか行かない家庭なのかも。
もう少しお正月行事に戯れるハーちゃんやリコを観たかった気持ちはありますね。
番組開始当初に期待した、異文化交流ギャグ、みたいな要素が
作品通してあまり感じられなかったのは非常に残念なところ。
ミライにとっての魔法界も、リコとハーちゃんにとってもナシマホウ界も、ですが、
もっとそれぞれの文化に驚いたり慌てたりするところが観たかったですね。

とにかく初詣に向かって歩いて行くうちに色々な友達と出会います。
う~ん、ここも、あえて人数を減らしているのかわからないんですが
個人的な好みでは、部長として成長したそうた君には
部活の他のメンバーと練習をしていてほしかったですし
花壇の世話をするめがね君と出会った時は、ちょっと手伝って行こうか
みたいな流れがあってほしかったですね。

一人ぼっちで練習するそうた君とか
正月から先生と花壇の世話するめがね君とか、
基本的に魔法プリの登場キャラは友達がいないんじゃないか疑惑が(笑)
ボッチを卒業した勝木さんとマユミさんは一緒に魔法の練習なぞしておりました。

そして、神社についてお参り。
ここでの「リコも、はーちゃんも、モフルンも、みーんな! 明日は、一緒に学校だよ!」
はすごく良いセリフだなと思いました。
この台詞を聞いて、僕はたまの「ぎが」という歌を思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=hYTtWPBE0L8
「クリスマスの夜 苦しまず眠る」とか、
いきなり駄洒落から入るところが非常にたまらしい歌ですけども(笑)
「ぎが」は多分、飼っている犬の名前なんですが、最後にこんな歌詞が出てきます。
いつかきっと必ずや僕もぎがも 僕でもぎがでもなくなるよ
そしたらぎが、明日は 何しようか?ぎが

初めてこの歌を聴いた時、すごく感動して、
当時の恋人に話したら「そんなの諦めじゃん」って言われて(笑)

でも、諦めじゃないんですね。
諦めというのは、一緒にいられるかどうか
変らずにいられるかどうか、という思考を停止して
目の前の楽しさに身をゆだねて、変らず一緒にいることを諦めている、
ということだと思うんですけど、
問題は、変らず一緒にいることが正しいことかどうかはわからないということです。
それは避けられるかもしれない、でも避けることが正しいかはわからない。
単純問題、リコとミライが学校を卒業すれば、今と生活は変わるし
もしかしたら今までより簡単にはあえなくなるかもしれない。
じゃあ、リコとミライはずっと卒業しない方が良いのかって、
そうはならないですよね。ニートになっちゃう(笑)
僕達はどうしたって変わっていくし、変っていくことを望んでもいる面もある。
その過程で、大切なものを失うかもしれないけれど、
それにしがみ付くことは、僕達を歪に、そしてもしかしたら逆に不幸にするかもしれない。
そうすると、ずっと変らず一緒にいようねと決めつけてしまうことの方が
ずっと思考停止かもしれないですよね。
だからミライの台詞や「ぎが」の歌詞は
思考を停止しているわけではなくて、皆が、自分の考えた道を歩いていく上で、
それぞれが変わって、一緒にいられなくなることがあり得ることを踏まえて、
一緒にいられる明日を生きようって、そういうことだと思うんです。

で、とにもかくにも今回は何だかんだ戦ったりした後(笑)
最後に、魔法界とナシマホウ界、他にも色々な世界がごっちゃになったところで終了。次回へ続く!
この場面は何とも言えないですね。
世界が混ざったのに周りが驚いている様子がないとか、
プリキュアが光に吸い込まれてからの場面展開の強引さとか、
そういうものから考えると、この混ざった世界が夢か幻である可能性も捨てきれない。
この状態がデウスマストの力でもたらされた混沌だとすると
プリキュアが世界を一つに繋ぐ、ということと同じことを
敵のデウスマストがやっている、ということになって、
色々と思考がはかどりそうなのですが、
この辺の考察は今の状態がはっきりするまでお預け、ということで!
では!

サンタクロースつかいプリキュア#46

勝木さんガチでいじめられてるやんけ……

珍しく当日更新ですが、
いやぁもう、どっから突っ込んで良いかわからない(笑)

まず勝木さんが、魔法使いとか関係なく
割と色々見えちゃう人であることが判明。
自分が見たものが間違いじゃないこと、
自分を信じるために魔法使いを探すんだ!
という思いは熱いのですが、
その理屈で行くと今後彼女は幽霊や宇宙人を探さなければいけなくなるのでは……
まぁ魔法プリの世界観ならそれもいておかしくない(笑)

で、教室で黒板を前に佇む勝木さんの場面。
非常に問題のシーンだと思うのですが
多分時期的には魔法使いを目撃する前の話だと思いますが、
黒板に描かれた幽霊とUFO、そこに赤いバッテンが……。
可能性は三つありますね

①イメージ映像である
②勝木さんが自分で描いた
③クラスメイトが描いた

これ③だったら完全にいじめやないか……
可能性は他にもあるにしろ③に見えてしまうことが可能である
という時点で、描写としてどうなんだろう、という。
まぁ勝木さんのボッチ感は端々から感じていましたが……。
そこは子ども向け特有の優しい世界観でカバーみたいな。
僕が勝木さんをあまり問題視していなかったのは
前提として、いじめ等の攻撃的な状況にはなっていないという
コメディ的なノリを考えていたからであって、
こういう方向でキャラを掘り下げちゃうと確かに危ういよなぁと思います。
まぁ、仮にあの手のいじめがあったとしても
すでに仲良くなっているマユミさんが感知している様子がないことから
現在の魔法使いについてはそこまで表立ったちょっかいは
出されていないのだとは思いますが……。
ちょっとシリアスすぎるよなぁ……。

というか
サンタがいるのに魔法使いが信じられない世界観
が相当、謎なんですが(笑)

サンタさんに手紙を出して、サンタさんがプレゼントを用意して
親経由でプレゼントが子どもに渡される、というのは
子ども向けの作品だと結構目にする設定ではあるのですが、
あそこまでナシマホウ界に関わってたら、
もう魔法使いの存在ばらして良いだろ!(笑)

ただ、もう今回は無茶苦茶すぎて、
この話を真面目に考えるだけヤボみたいなところまで
来ちゃってる感じがするんですよねぇ(笑)
そういうわけで、僕はこの回の矛盾については基本的に黙殺します!(笑)
勝木さんの話がなければ本当にお祭り回としてバッサリ切れるんですが
勝木さん視点だとかなりの重要回になるので、そこもまためんどくさい(笑)
う~ん、でも今回の話を真面目に勘定に入れちゃうと
本当に何が何だかわからなくなっちゃいますよねぇ。

設定が無茶苦茶でガリガリ軋みを上げている(笑)という点を覗けば
発想が愉快で悪くない話だったと思います。
勝木さんについてはまぁ色々意見はあると思いますが……。
マユミさんと仲良くなって良かったねって言うにとどめておきましょうかね。僕は。
サンタさんへの手紙の件とか、敵幹部をサンタと間違える部分とか
ギャグも独特のセンスがありましたね。
プリキュアが自分達が魔法使いであることを隠す部分は
相変わらずルールが曖昧で何とも言えないんですが(笑)
(魔法使いであることがばれちゃいけないってルールでしたっけ?
人に見られてるとこで魔法を使っちゃいけないってルールだったような
ちょっと見直してみないと正確なところわからないんですが
まぁ元々抜け道だらけのルールーだったしな)。

今回の戦闘で登場したドンヨクバールは
サンタの袋とゴミ袋を重ねているところとか、おもしろかったですね。
フェリーチェがお掃除するのもおもしろかったです。
まぁ皆に迷惑かける子にはサンタは来ません!って言いますけど
君達も「今かけたの魔法じゃなくご迷惑かも~」って歌われてますやん(笑)

そんなこんなで、色々問題はあるわけだけど
真正面から取っ組み合いはしにくい独特な回でした。
また何か思うことがあれば追記するかもしれませんが、
ではまた年明けに!

さよならオルーバさんつかいプリキュア#45

メリー苦しみマス!

と、下らないジョークを言いつつ
魔法プリ45話感想です。

そうですねー
バッディさんが一緒に
こたつに入ってるのは
流石におかしいでしょ(笑)


これが一番言いたいことですかねー。
主君を失って失意の底にいるのは当然ですし
主君の敵討ちに走らないのも、
喪失感とニヒリズムに塗れていることを考えれば
あり得る選択だと思います。

でも一緒にこたつは入らないでしょー(笑)
だって敵なのよ?和解したわけでもなく撃破されて
復活したら自分の主君が倒されてるわけよ。
殊更敵討ちをしないにしても、こたつには入らないよー(笑)

確かに平成仮面ライダーシリーズ(特に初期)に比べて
プリキュアでは、悪を倒す力もまた暴力である、という考え方は
重視されていないと思います。
それでもいくら何でもバッティさんがこたつに入って
プリキュアに敵意の一つも見せないとなると
プリキュアの行為を作品としてあまりに肯定しすぎと言いますか……。

例えば、クシーを倒した後の
校長の悲しみや追悼の描写が殆どないことについて
個人的には子どもを混乱させないための
処理として受け入れています。
つまり、プリキュアが悪いやつを倒したのに
校長が悲しんでいたら、その場面を
どう捉えて良いかわかりにくくなるのではないか
という考えなんじゃないかと思うわけで、
もちろんどう捉えて良いかわからないものを見せることで
視聴者に考えさせるという手法はあるわけだけれども
魔法プリではそういうことはやらないよ、
というスタンスなのかなと。

ただ、そういうシンプルな物語構造の指向と
校長の友達が敵だった、そしてそこから繋がる
敵にも人の心が当然にあり
闇の魔法も普通の魔法も人の心によって作られた
同種のものなのだ、というような
善と悪に同一性を持たせる思想、設定は
かなり食い合わせが悪い。

制作者は、表面的な勧善懲悪と
その下の設定によって
いわゆる、大人になってさらに深い意味を理解できる系の
作品になると考えたのかも知れませんが
現状、かなりバランスを欠いた作品になっている気がします。
そのために、今回のバッティさん然り
現実的に見てかなり違和感のある描写が散見されるように思います。

そういうわけで、バッティさんの描写が
あまりにプリキュアに対して作品として肯定的すぎる
という不満はあるわけですけれども
「闇の魔法」もまた人間の心の上に成り立っていること、
そしてムホーに対してバッティさんが立ち向かい
闇の魔法とプリキュア達の魔法を同じ方向に向かせたこと、
の二点については、良かったなと思います。

闇の魔法の真実、みたいなことを前回言っていたので
闇の魔法は一見悪いものに見えて実は良いものだった!
みたいになったら困るなと思ったんですが
オルーバさんが混沌の復活のために世界にばら撒いた要素を
それと知らずに掻き集めた結果できたのが闇の魔法だった、
全てはオルーバさんの手の内だった、ということでした。
やはり闇の魔法は良いものではない、というラインを保ちつつ
でもそこに人の心があるからこそ、ムホーの劣化コピーにしかならなかった、
というのを示したのは良かったですね。

そして校長はクシーが闇の力に飲み込まれてしまったと考えていたけれど
人の心があるからこそ、ムホーの劣化コピーにしかならなかった、
というオルーバさんの話を聞いて、闇の魔法の中にも
クシーの人間としての心が宿っていることを知る。
そして最後にクシーの本を読むことによって
クシーが態度を急変させたのも闇の力に飲まれただけでなく
校長を巻き込まないための演技という部分もあったのだと気付く、と。

この流れは悪くないし、結構好きなんですが
やはりこういう展開にするなら校長のクシーに対するスタンスを
もっと偏った風に強調するとか、もう少しうまいやり方があったように
思える部分はありますね。
現状だと、やはり校長が大分浅慮な印象があります。

あと、今回はオルーバさんが退場したのが意外でしたね。
キャラ的にラスボス枠とさえ思っていたので、驚きました。
ドンヨクバールとモットヨクバールの戦闘は
作画の演出がそこまで好みではなかったのですが
こういう流れに持って行くかという意外性もあり、
熱くて良かったと思います。
今後、バッティさんが再登場するとしたら最終回かな?

不満もありつつ個人的には結構楽しめた回でした。
今回、ちょっと忙しくて、見直せず、
一週間前の記憶で書いているので、誤解等ありましたら申し訳ありません。
明日はクリスマス!魔法プリはサンタさんのいる世界のようですね!
ではまた!

○追記
書き忘れてましたが、今回の校長とクシーの
離れていても相手を思っているという話にミライが反応しているのが
物凄くリコ達とのお別れフラグを立ててきている気がして
プリキュアが世界を繋ぐためにはドキプリエンドしかないんじゃないの、
と思っているのに、最終回がどうなるか、わからなくなってきました。
今は離れ離れになるけど、これから私達の世界はどんどんつながっていくよ……私達の戦いはこれからだ。
私達はようやくのぼりはじめたばかりだからな このはてしなく遠い魔法坂をよ…
みたいな、終わり方になるんでしょうか(笑)
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洗濯

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